海外トレッキング

ディンジュンリBC&ゴーキョピーク・トレッキング報告(2010年) 


(赤点線がトレキングルート)

422日出発 ディンジュンリBC&ゴーキョピークトレッキング 21日間

参加者:田中外治(76)、小西啓右(67)、柏敏明(67)、浪川純吉(65) 
T/C:中島健郎(25

スタッフ
   サーダー:ミンマ・ソナム・シェルパ(36
  シェルパ:ペンバ・シェルパ(25)、ミンマ・シェルパ(24
  コック:アン・ラクパ(33
 キッチンボーイ:ンガワン(49)、ラクナ(22)、ペンバ(22
  キッチンアシスタント:シバ・ライ(24
  ゾッキョドライバー:マイラ

  421日(水)晴れ 関空集合
  20:37成田発=21:30関空着−22:304階Dカウンター前集合
 集合時刻の30分前には皆集合。タイ航空は預け荷物が一人20kg5人合わせて100kgだが、日本食などで確実に制限はオーバーしている。少し緊張しながらチェックインを行うと、全く重量は見ていない。時と場合、対応窓口によって大きな差があるようだ。
 手荷物検査、税関、出国手続き終え、搭乗口へ。出発は深夜となっており、免税店や売店もほとんど空いていない。

  422日(木)晴れ 関空−バンコク−カトマンズ(1350m
  0:35関空発=4:30(時差−2時間)バンコク着−10:30バンコク発=12:30(日本から時差−2時間15分)カトマンズ着−13:30ラディソンホテル−18:30Fire&Ice20:30ホテル着
 搭乗拒否のお客がいたようで、27分ほど遅れて関空発。約6時間のフライトで経由地バンコク到着。(機内食:搭乗後すぐに軽食(サンドイッチとおにぎり)、到着1時間前に朝食) 着後、手荷物検査を終え、免税店などがあるフロアへ。乗り継ぎ時間が約6時間あるが、大した待合室はない(もちろん有料ラウンジやホテルはある)。
 約2時間15分のフライトでカトマンズ着。(機内食:搭乗後すぐにナッツとドリンク、約1時間後に昼食) ホテルでは部屋がクリーニング中の為、しばしロビーで待たされる。午後は各自自由行動。シーガルオフィスへ行き、初めての挨拶と準備を終えホテルへ戻る。
 夕食は本会々員の高田英明さんと一緒にタメルのFire&Iceへ。これからのロングトレッキング成功を祈って乾杯!この店は、本格的な窯で焼かれたピザがうまい。客はほとんど欧米人。高田さんからOBを死なせないよう重々気をつけるように忠告が入る。
 (備考)バンコクの乗り継ぎ待ちの際、トランジットラウンジとして2階のCゲート側には無料で休めるリクライニングシートがあった。しかし、帰路の時は撤去されていた。

  423日(金)晴れ カトマンズ(1350m)−ルクラ(2840m)−パクディン(2610m

 4:00起床−4:30朝食−5:12ホテル発−5:30トリブヴァン空港6:577:30ルクラ9:0011:20タドコシ12:1014:00パクディン (約4時間行動)
 ホテルの朝食は早朝すぎて暖かい食べ物はない(パン・サラダ・果物など)。空港では早くも行列ができており、開港を待ち並んでいる。シーガルからは3チーム分の荷物が混ざっており少々複雑
 我々の航空会社TaraAirは一番初めに呼び出され、マウンテンフライト機が飛び立った後、搭乗機体もフライト。本日のパイロットは優秀で、酔いも衝撃もなく無事ルクラへと降り立った。ナワンヨンデンのホリディロッジで荷物を整理し、いざ出発。本日はドゥードコシに沿ってゆるい下りなので気分は楽チン。タドコシで昼食をとりパクディンへ。パクディンの村でも橋を渡って最後の方にあるのが本日の宿泊地サンライズロッジ。
 夕食時にスタッフメンバーの紹介がある。5人の日本人に対して9人のネパール人と3頭のゾッキョたちのキャラバンだ。

  424日(土)晴れ時々雨 パクディン(2610m)−ナムチェ(3440m
 6:00起床−7:00朝食−8:00出発−11:30ジョサレ12:3017:15ナムチェ (約8時間行動)
 朝食でヤクバターがでる。原因はバターかどうか分からないが、中島は出発後しばらくして下痢。
 残念ながらタムセルクの展望はガスっており不明瞭。ジョサレで昼食をとり、ナムチェへの急登に取り付く。途中にわか雨も降ったりして、約3時間かけてナムチェへ。宿泊地は三浦雄一郎さん御用達でオーナーがラクパ・テンジンのサクラロッジ。ナムチェへ訪れるたびに思うのだが、常に町が大きく成長している。新しい建物や多くのショップ、もちろんネットやベーカリーは当たり前。最近できたネパール製のアメリカブランドsherpaもナムチェにOPENされており、なかなかの人気。  夕食時、中島は完全な下痢による食欲不振。食事の匂いすら受け付けない状況だが、なんとか耐える。柏さんも食欲低下。

  425日(日)晴れ ナムチェ高所馴化
 (約5時間行動)
 6:00起床−6:45朝食−7:30出発−10:15エベレストビューホテル11:0011:30クムジュン(3780m13:5015:26ナムチェ
 高山病症状は誰も出ていない。予定通り高所馴化のためにハイキング。ただ、中島・柏さんは下痢。小西さんも予備軍となりつつある。そんな状況でも、晴れたテラスでエベレストを見ながら紅茶を飲めば心は晴々。 タウツェ・チョラツェ・ヌプツェ・エベレスト・ローツェ・アマダブラムのパノラマが広がる。石楠花も満開でいいムード。


 クムジュンハイランドシェルパロッジでキッチンスタッフによる昼食をとり、イエティの頭があるゴンパとヒラリーが建てた学校を見学。ここ数十年で教育はガラリと変わっている。日本人よりも英語は堪能だろう。ナムチェ、クムジュン、クンデやターメは強靭なシェルパ族の地域で、稼ぎも多い。そのため、ナムチェ以外の村はひっそりと静まりかえった村なのに建物は全て立派で新しく、子供などはカトマンズの私立学校や海外へ留学といった具合である。もちろん親の強靭なシェルパたちは、さまざまな言語を使いこなすものの、いまだに文字の読み書きが出来ないものも多い。子供に対しての教育がこれほどまでに徹底しているのも理解できる。
 夕食までのフリータイムで、皆sherpa shop へ買い物。サーダーのミンマの甥の店なので、何とか頼んで15%OFFまでしてもらう。値札のついた定価をここまで下げてくれたのは本当に特別プライスだ。

  426日(月)晴れのち曇り ナムチェ(3440m)−ターメ(3820m
 (約6時間行動)
 6:00起床−6:45朝食−7:30出発−10:40ターモ11:4514:25ターメ
 小西さんも朝から下痢に。これでゲリラ部隊は3名となる。本日からはエベレスト街道からはずれ、ボーテコシに沿って西へ。ほとんど平坦な歩きで疲労は少ない。途中の石楠花がきれいに咲いている。ターモで少し早い昼食をとり、ターメへ。 宿泊は現在エベレスト最多登頂のギネス更新中(今シーズンで20回目)のアパ・シェルパのエベレストサミットロッジへ。レンジョパスから下りてきたポーランドの若者たちは浴びるほどのチャンを飲んで夜まで騒いでいた。

  427日(火)晴れのち曇り ターメ休養
 (約1.5時間行動)
 6:00起床−6:50朝食−9:30出発−10:15ターメゴンパ−11:00ターメ
 深夜、新入隊員が追加された。田中新隊員加入でゲリラ部隊は計4名。本日は高所馴化のために、裏山(スムドルピーク)のハイキングであったが、皆それどころではない様子。本日は完全休養日として、洗濯やらトランプやらしながらのんびり過ごす。唯一元気な浪川さんと中島にシェルパ一人つけてターメゴンパまでハイキング。本日の食事は3食ともにおかゆを出してもらう。これではコックも腕のふるいようがない。
 夕食後に発覚したのだが、浪川さんの足がパンパンにむくんでいた。水分不足のようで、大量の水分を取ると翌日には収まっていた。
 (備考)ヨーロッパ人はナムチェから日帰りハイキングでにターメまで来ていた。水下痢にはクラビットが有効。細菌性の下痢なので、抗生物質でないと治らない。

  428日(水)晴れのち雪 ターメ(3820m)−マルルン(4075m
 (約5時間行動)
 6:00起床−6:30朝食−7:15出発−9:50タルガ−11:00マルルン−12:15裏山ハイキング13:40
 本日はボーテコシ右岸を北上。


          ボーデコシを北上・マルルン付近の田中さん
ほぼ平地に近い緩い登りで、天気も最高。何より人が少なく、静かなトレッキングが堪能できる。すれ違ったトレッカーは
3人のみ。みなさま下痢でそこら辺の青空トイレで用を足すのが慣習になりつつある。何より、人通りが少なくて幸い。むしろ開放的なトイレで気分も最高。
 じゃがいもの名産地であるタルガを過ぎて、昼前にマルルン到着。昼食後、裏山へハイキング。1時間で4225m付近(高度差150m)までのんびり登る。ロッジに戻ってきたころには雹が降っており、夕方には完全な雪となる。夜には結構冷え込み、ヤク糞暖炉で暖まる。

  429日(木)晴れのち雪 マルルン(4075m)−チューレ(4490m
 (約4.5時間行動)
 6:00起床−6:45朝食−7:30出発−12:15チューレ

 昨日同様、ボーテコシ右を北上。チューレ手前でようやくディンジュンリの頭が見えた。BCへ行っても見ることが出来ないので、とりあえず記念撮影。チューレ手前の二股で川を渡るのだが、なんとも貧弱な橋がかかっているのみ。単なる板で、しかも左右に揺れるのでバランス感覚必須。昼には宿泊地チューレへ到着。
 皆様、下痢と高度の影響だろうか、少しお疲れ模様。ディンジュンリBC5000m近くあるのと、後半のタイトなスケジュールなども考慮するとこのチューレをBCとして滞在した方が良いという結果となった。本日からテント泊。ここで3泊するということになったので、小西さんの持参個人テントも登場。周辺には6000mを超える鋭いピークが眺められ、またその麓ではヤクたちがのんびり草を食べている。静かなでのどかな最高のBCとなった。

  430日(金)晴れのち雪 ディンジュンリBCハイク
 (約6時間行動)
 6:00起床−6:45朝食−7:30出発−11:20チューレ氷河とパンブク氷河の出合12:1514:30チューレ

           







                   




       荘厳な瑞光

 
 弁当を持って、目指せディンジュンリ
BCハイクであったが、残念ながらBCまでは到達できず。BCといっても、何かあるわけではなく、BCからディンジュンリが見えるわけでもない。本日は無理せず二股まで行って引き返すことになった。二股まで行けば最奥のパンブクリも拝められる。しかし、ディンジュンリは頂上だけが見えているだけで全容は隠れたままであった。
 それにしてもヤクは草のあるところであれば、どんな奥地にまでも入ってくる。ヤク糞との戦いである。

  51日(土)晴れのち曇り 周辺ハイク
 (約3.5時間行動)
 A(浪川・中島):6:00起床−6:45朝食−7:30出発−9:45 4880mViewPoint10:1011:30BC
 B(田中・柏・小西):6:00起床−6:45朝食−8:00出発−10:30イエティ峰−12:15BC

本日は休養日ということしたのだが、一番元気な浪川さんと中島はナンパラ方面へハイキング。他の方はゆったり・まったり裏山登りでもしようか的な感じであったが、ともに結構本気な半日ハイキング日となった。
 Aチームはチューレよりボーテコシを渡り左岸を北上。なかなか早いピッチで景色のよさそうな丘(ゴーキョ側から派生する尾根)に登る。ジョボリンジャン、パサムラムチュリ、ナンパイゴズム、チョオユーが間近に迫る。
  Bチームは少しゆったりして裏山ハイキングに出る。裏山といっても、このピークは2007年のディンジュンリ遠征の際にイエティと思われる足跡が発見され、一時は話題になったほど。なかなかの急登に苦しめられ、BCに戻るころには昼を回り、むしろAチームより行動時間は長くなっていた。こちらの小ピークには誰も人が入った形跡はなく、イエティ峰と名付けた。頂上からはパサムラムチュリ、チョオユー、ギャチュンカンなどが一望できるすばらしいビューポイントである。




  














            左よりパサムラムチュリ、ナンパイゴズム、チョオユー

5
2日(日)雪のち曇り チューレ(4490m)−リモラ(4800m
 (約5.5時間行動)
 6:00起床−6:45朝食−7:30出発−9:40アリャ11:5514:50ルンデンとの分岐点−15:40リモラ
 昨夜はいつもより変に暖かい風が流れていると思ったら、深夜に雪が降り出した。朝には5cmほどの積雪があり、周り一面真っ白。本日から後半のゴーキョピークへ向けてのトレッキングが始まる。
 朝一から本日の核心、ボーテコシ渡渉である。以前は簡易橋があったのだが、流されてしまい現在はジャンプ80cm。昨日、浪川・中島ペアはジャンプで超えたものの、ポーターやジャンプ不得意な方には不可能。単なるジャンプならいいのだが、もし失敗すると氷河水の冷え切ったボーテコシダイブとなり、5mほどは流されてしまう感じ。


昨日のうちにキッチンテーブルで橋の代用を試みるも、ギリギリ届かず。何とか現地のヤクパ(ヤク使い)から丸太を借りることができた(この周辺にもちろん木はないので丸太は貴重)。しかし、雪で濡れた岩と丸太で橋が架かっているだけなので、なんとも不安。シェルパの
100%サポート力を借りて皆無事通過することが出来た。
 ボーテコシを渡り、左岸を南へ下るとアリャへ到着。ロッジが2件あるだけの小さな集落。2年前の遠征時に宿泊したロッジと同じところで昼食となり、ロッジオーナーと懐かしの再会となった。午後からはレンジョパスへ向けて出発。


ゆっくり3時間半ほど登ると本日の宿泊地リモラ(ツインレイク)に到着。静かな湖のほとりでキャンプとなり心が落ち着く。といっても最高宿泊高度となるので、安心はしてはいられない。欧米人はこのキャンプサイトを使用することはなく、アリャまたはルンデンより一気にゴーキョ入りするが、本日は珍しくイタリタトレッカーがすでにテントを広げていた。

 雪と高度の影響で、今まで雇っていたゾッキョ4頭だけでレンジョパス越えは厳しいということになり、急遽チューレよりヤクを5頭とヤクドライバーを追加。ゾッキョは自分たちとヤクの食料(草)を運んでいた。


 本日カトマンズで無期限ゼネスト(バンダ)が開始。車・バス・タクシーやバイクなど全てストップ。店も18〜20時のみ開店を許されているのみだとか。

  53日(月)晴れのち曇り リモラ(4800m)−ゴーキョ(4790m
 (約6時間行動)
 6:00起床−6:45朝食−7:30出発−11:15レンジョパス11:3012:20ランチ12:4515:15ゴーキョ
 イタリア隊は朝5時半には出発。我々が出発するころには、ルンデンやアリャからも続々トレッカーが来る。皆朝が早い。いよいよレンジョパスへ向けての急登。階段がきれいに整備されており歩きやすいが、高度が上がるので息が切れる。10時ごろから雲が出始め、3時間半ほどかけてたどり着いたレンジョパスでは、すでにガスの中。


 ゴーキョへのくだりは2年前のルートとは異なっており、現在でもほとんど整備は行われていない。一箇所雪渓の下りがありトレースが残っているのでほとんど問題ないが、スリップには要注意。レンジョ・チョラパス越えのトレッカーはピッケルを持っているグループも多かった。下りの途中でパックランチを食し、ゴーキョへ下る。本日の宿泊地ゴーキョリゾートは立派で大きくインターネットも出来る。日本人は我々だけで、日本食に欧米人たちが不思議そうに眺めている。

  54日(火)曇り ゴーキョピークアタック(5360m
 (約5.5時間行動)
 4:30起床−5:00出発−8:40ゴーキョピーク10:0012:00ゴーキョ
 本日の行動予定はゴーキョピークに登ってからさら高度を下げて下の村まで下る予定であったが、日数的に余裕があったのでゴーキョピークアタックのみにする。出発は5時なので、朝食にはおにぎり持たせてもらう。
 出発時にはヘッドランプは不要であったが、朝焼けが嫌な雰囲気である。だんだん日が昇るにつれて、空には雲がどんより覆う。エベレストが望めるはずの高度になってもまったく見えず、下降を始めるトレッカーが多い。途中、早くも頂上から降りてきた若い日本人と遭遇。ナムチェ以来の日本人で久しぶりの日本語に会話が弾む。そうこうしているうちに、晴れ間が覗き始め、エベレスト、ローツェ、マカルーが見えた!神様は我々に微笑んだ。

          エベレストとローツェ(200mm望遠)
 3時間半かけて頂上へ到着。頂上には他に1パーティだけおり静かな頂上を堪能できた。

              ゴーキョピークにて
残念ながら曇ってはいたものの、ほとんどの山を見渡せることができた。

  55日(水)雪のち曇り ゴーキョ(4790m)−ドーレ(4050m
 (約6時間行動)
 6:30起床−7:15朝食−8:00出発−11:20マッチェルモ12:3015:20ドーレ
 朝から雪が降っている。本日がゴーキョアタック日でなかったことを幸いに思い、帰路へ付く。途中、1995年の雪崩現場を通過。日本人、シェルパ、ロッジスタッフ計25人がこんな場所で雪崩に流されるとは誰が想像出来ただろう。
 お昼はマッチェルモ。雨混じりの風雪だったのでいままでで一番寒い思いをした。ロッジの暖炉で生き返る。午後は平坦な道をダラダラ下る。雨は上がり、高度も下がり快適なトレッキング。


本日の宿泊地ドーレ(ナマステロッジ)はこぢんまりとした場所ではあるが、タムセルクやカンテガの夕景が最高だ。本日から禁酒も解禁され、皆陽気な気分。

中島便秘が6日ぶりに解消され一安心。

  56日(木)曇りのち雨 ドーレ(4050m)−ナムチェ(3440m
 (約6時間行動)
 6:30起床−7:15朝食−8:00出発−9:35ポルツェタンガ−11:15モンラ12:3013:35キャンズマ−15:00ナムチェ博物館−15:45サクラロッジ
 朝から浪川さんのベッドの足が折れるというコントみたいな話でお目覚め。本日も曇り。ポルツェタンガまではゆるい下りで、そこからモンラへの登り返しが始まる。遠くに感じられた峠だが、1時間半程度で到着。本来ならアマダブラムなどの景色が最高なのだが、あいにくの曇り。しかし雰囲気のよい村で、外でランチをいただく。  午後は平坦な道をのんびりウォーク。エベレスト街道に合流したとたん、雰囲気がガラリと変わった。さすがエベレストへの道。ナムチェのロッジへ行く前に、博物館へ立ち寄る。シェルパの昔ながらの住居館と歴史資料館があり、サーダーの解説付きで楽しめる。
 サクラロッジでは、弊社の別ツアー団体(T/C貫田)がおり、豪太さんとミウラクラシックの話で盛り上がる。

  57日(金)晴れのち曇り ナムチェ(3440m)−パクディン(2610m
 (約5時間行動)
 6:30起床−7:30朝食−8:15買い物8:5011:15モンジョ−11:45チュモア13:0014:50パクディン 
 カトマンズのバンダが未だに終わらないとのことで、朝食後にも最後の買出しのために少しお店に寄って出発。明日はナムチェバザールのため、対向の交通量が非常に多い。
 チュモアでのお昼は、標高も2600mまで下がったこともあり天ぷらが出てきた!俄然食欲が出てくる。


本日の宿泊地パクディンに入ると、ふと一人の若い女性が笑っている。なんとイケメンシェルパ・ペンバの
21歳の奥さんである。ついこないだ結婚したばかりの新婚さんたちで、夜にはどこかへしけこんでいった。

  58日(土)晴れのち雨 パクディン(2610m)−ルクラ(2840m
 (約3.5時間行動)
 6:30起床−7:15朝食−8:00出発−11:30ルクラ
 今朝からグッドニュース。昨日カトマンズゼネストもようやく終わり、町にはいつもの雑踏とした雰囲気が復活した様子。本日はラストトレッキング日。あいにくの曇りと雨の天気であったが、15日ぶりのルクラへ帰還。みな大きな怪我もなく無事帰ってこられたことに、一安心。ルクラスターバックスという怪しげなネーミングだが、久々のおいしいコーヒーにホッと一息。皆さまよくがんばりました。
 夜はキッチンスタッフによる最後の料理での豪華なチキンとケーキが振舞われた。最後にみんなで歌って踊ってトレッキングの成功をともに喜びあった。

  59日(日)晴れ ルクラ(2840m)−カトマンズ(1350m
 5:00起床−5:30朝食−6:15出発−6:25ルクラ空港7:358:05給油8:258:45カトマンズ−9:30ラディソンホテル−12:00唐人街飯店−18:00デチェリン
 予約の関係上、本日は3体目の機体でのフライト。雲が出始めてきていたが、無事フライト成功。しばらくして、高度が下がってきてそろそろカトマンズ到着かと思いきや、着陸したのは芝生の上。どうやら燃料切れで、給油のため途中で不時着した様子。こんな短いフライトなのに燃料切れとは、さすがネパール。何事も焦らないこと、ビスターリ。給油後なんとか飛び立ちようやくカトマンズへ帰着。
 久々のカトマンズはうだるような暑さ。昼はブルーバードの上の中華でビール。午後はお土産のお茶やタメルでのショッピング。夕食はそのままタメルのチベット鍋ギャコックをいただく。

  510日(月)晴れ カトマンズ滞在
 5:00起床−5:40出発してゴルフへ−11:30ホテル帰着−18:15ツシタレストラン
 カトマンズ観光は一通り終わっていた方々なので、本日はゴルフへ。しかし、本日のゴルフは午前中のみなので早い出発。お昼前にはホテルへ戻ってきていた。  午後は最後のショッピングやら、ホテルでのんびり。夕食はギャンゾンホテル前近くのツシタレストランでネパール料理。ネパール滞在は長かったが、初めてのまともなダルバードを食す。食後はホテルの部屋でラストナイトを祝し乾杯。

  511日(火)晴れ 帰国
 8:00起床−10:10出発−10:30空港
 一緒に日本へ帰りたいところだが、中島は居残り。日本食を愛おしく思いながら、皆様と別れを告げる。

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