個人山行・随想・研究

            '08年 夏 大峯“中”奥駈記
                 (五番関〜前鬼)
                                                   鮎川 滉
 以前から大峯山系(奥駈道)を通して歩きたいと願っていた。今年3月、ある山岳関係の講演会で森沢義信氏(JAC関西支部)に会い言葉を交わす機会があった。「全山をいちどに歩き通すのは困難です。3〜4回に分けて歩くと安全でその魅力を堪能できますよ」との助言を戴いた。氏の大著『大峯奥駆道 七十五靡』を再読しながらパソコン画面に国土地理院閲覧サービスの地形図を表示しルートを検討し計画した。幸い尾崎・矢崎両氏の同行を得て実行することができた。

200年8月7日(曇)
洞川【10:20】タクシー⇒五番関トンネル西口【10:35〜50】→五番関・女人結界【11:07】→鍋冠行者堂【11:46】〜(昼食)〜【12:06】→洞辻茶屋【13:32】→陀羅尼助小屋【13:54】→鐘掛岩【14:15】→山上ケ岳宿坊・喜蔵院参篭所【14:55】〜大峯山寺参拝【15:20〜15:55】→喜蔵院参篭所【15:30】(泊)・・・歩行距離:6km、登り累計:620m、降り累積:130m

 バスが洞川集落に近づくと古い宿が軒を並べ往時と変わらない風情であった。山上ケ岳は霧に蔽われ頂は見えない。予約していたタクシーに乗り継ぎ五番関トンネルへ向かう途中、運転手さんに登山届を駐在に投函してもらう。彼は「ここ、づーっと天気が続き登山者にはよいが我々は雨が降って欲しい」と云う。これから3日間天気に恵まれまさすようにと願いながら片や夏季の奥駈けは「水」がキーとなる。縦走途中の水の補給、特に"行者還岳避難小屋"と"鳥の水"で水を得られるだろうかと心配する。
 トンネル入り口の公園で下車しストレッチを行う。ここ数年、日帰りハイキングのみなので重めとなったザック(14kg)はさきゆき負担になりそうだ。これから3日間、30数キロの距離を「登る喜び」とともにこの聖地を歩き通せるとよいのだが・・・
 一歩一歩ゆっくりしたペースで標高差100bほどの樹林帯をザックの負担も意識せず20分弱で登りきり出だし快調だ。"五番関"に到着する。

       女人禁制の結界門

女人結界門をくぐり左の新ルートに入ると原生林におおわれた緑の回廊が続き樹木から発する精気を身体に受け爽快だ。修験道の根本道場として過去多くの行者さんや修験道の信者たちに踏みしめられた道である。再び旧道と合流し前方にぼんやりとさびた大鍋がつるされた堂宇に着く。朽ちた倒木に腰掛けて昼食をとる。薄い霧が流れやがて雨が降りだし雨具を着装する。稜線にでると東側から微風がそよぎ嬉しい。

 
       鐘掛岩

 やがて霧雨にけむる青銅の"出迎不動尊"の横にでる。 

       出迎不動尊

 その先が"洞辻茶屋"で下山してきた人から「ようお参り!」と挨拶を受ける。登山道が通り抜け陀羅尼助の幟が立ち並ぶ両側の茶店は休業中で扉は閉まり閑散としている。

      洞辻茶屋にて

さらに"陀羅尼助茶屋"を抜け褶曲模様の堅い露岩を踏み高度を稼ぐ。木製の階段の登りで汗が噴き出し眼鏡が曇る。平坦な道になり左の標識に従い喜蔵院参篭所に予定より30分ほど早く着く。納所(なっしょ)の神崎師が作務衣姿で出迎えてくれる。


"大峯山寺"の閉門が16時と聞き空荷で200bほど石段を登り奥駈けの安全遂行を祈願する。これほど本格的な建物が標高1700メートルの高所に作られたのは恐らく日本では最高所の建造物ではなかろうか。

          大峯山寺

 役の行者以来1300年余もの昔から営々として受け継がれてきた信仰の結晶、まさに偉大な遺産である。その荘厳さに感嘆する。

         神変大菩薩(役ノ行者)像

 宿坊にもどると早速、入浴を勧められる。神崎師は「山での入浴は贅沢ではなく古くから霊山に入る前に身を清めるしきたりがある」と云う。浴槽から熱い湯を汲み頭から浴びさっぱりした心地で外に出ると温度計は19度を示している。猛暑の下界から心地よい冷気につつまれリフレッシュする。「必要以上のサービスはしない 広大さ、昔日をしのぶ」が宿坊の理念として壁に掲げられている。肯く。ビールで喉を潤しながら精進料理(登山者には鶏肉の煮付けあり)を賞味する。泊り客は我々3人のみ。神崎師より大峯の歴史の一端をお聞きする。師は写真家でもあり大峯をテーマに作品を手がけ個展を開いて活動しているようだが無私・無欲の徒で栄達とは無縁のお人柄とお見受けする。外にでて隣接の"桜本坊"の玄関前にカップ酒を持って下界を見つめている人と会話する。銀行を定年退職したあと、請われてこの宿坊でお手伝いをしていると云う。山を愛し大峯に精通し修験者や山岳関係者との交友も広く、話題は超人的な行者さんの話題や大峯の広大さなどが話題になる。「前鬼・小仲坊の五鬼助さんに今度酒を担いで会いに行くと伝えて下さい」と伝言をさずかる。

       喜蔵院

夕暮れの雲海にぽっかりと薄紫の高見山から国見山、明神平までの山容が浮び落日とともに闇に溶け込んでいく。刻々と変化する情景をながめているとここはまさに霊界であることをしみじみと感得する。60畳はあろうか、超大部屋を我々3人が占有する。湿布薬で膝を養生し明日から30kmを超える登降に備える。師は「明日の天気は、午前20%、午後60%」と降雨確立をわざわざ報せてくれる。夢路に。

8月8日(晴)
宿坊【5:20】→小笹の宿【6:00】→阿弥陀の森結界門【6:47】→脇の宿跡【】→小普賢岳【7:36】→大普賢岳【8:22〜8:40】→七曜岳【10:40】→無双洞分岐【10:50】→行者還岳の宿【12:15〜(昼食)〜13:01】→一のタワ【13:45】→トンネル西口分岐【15:10〜15:50】→聖宝の宿跡【16:40〜16:55】→弥山小屋【18:00】・・・歩行距離:16.5km、登り累計:1,380m、降り累積:1,160m
 神崎師は4時に起きだし5時前に朝食を準備していただく。5時すぎ、東の空から太陽が上がり天空を染めて行く。

       喜蔵院参籠まえからご来光を拝す

 懸念していた膝痛と筋肉痛は感じない。弥山小屋到着リミットは17時だが30分ほど遅れると予約段階で了解を取り付けていたが、再度連絡すべく携帯電話を見ると圏外表示。ムーバとau以外は不通であると云われる。弥山までの行程で山上ケ岳から奥駈け道の下降地点と大普賢岳の登り、弥山への最後の登りルートを訊ねると詳しく教えていただき善蔵院を辞す。"大峯山寺"の南端、見晴らしの良い下降点よりこれから縦走する峰々を眺めると足元から連なる峰々の先は遥かかなたに弥山が確認できるが途方もなく遠くに感じる。気を取り直し「前進到達」を唱え前進する。地図案内に特異な名称で記された難所らしく思える箇所(薩摩ころげ・内侍落しなど)は通過に戸惑うようなところではない。

         難所?を下降

 しかし深林には風が無く湿気により汗が噴く。"脇の宿跡"付近で若い単独行者に追い抜かれる。急な坂を登りきると大普賢岳の頂上である。絶景をほしいままにする。先のルートも鮮明で踏み跡に従いながら進む。七曜岳を過ぎ"無双洞分岐"を通過し、

       奥駈け道から和佐又への分岐

行者還岳はパスして東側の尾根を越え朽ちた梯子を降下すると右側のガレの上に給水施設が見え、そこから黒いホースが2本垂れ下がっている。看板にはここで水を補給するよう書かれているがカラカラに乾ききって一滴の水も得られない。気落ちして行者還岳避難小屋へ下る。避難小屋の扉を開けドキドキしながら蛇口をひねる。勢いよく冷たい水が出る!ひと安心!お湯を沸かし昼食とする。

     行者還岳避難小屋

アップダウンや平坦な歩きやすい道を南へ進む。ところどころモミの大木が根こそぎ倒れ無残な様相を呈している。

       倒木帯

倒木が屋根に倒れ掛かる"一のタワ"の避難小屋は朽ち果てようとしている。稜線の北側のミヤコザサをトラバースし"弁天の森"から弥山が迫ってくるがなお標高差300m以上の高度に構えている。トンネル西口への分岐で10名ほどの学生がばらばらになって下山してくる。彼らは行者還西口の駐車場まで車で入り、弥山より八経ヶ岳を往復し疲れきった姿である。ペットボトルを片手に休み、やがて膝をがくがくさせながら下山していく。"理源大師聖宝像"

      理源大師聖宝像

の裏(北側)にもルートの痕跡があるがより鮮明な左の道を選択して標高差300b程の登りにかかる。"聖宝八丁"といわれる最後の急登である。木製の階段には脚力がすっかり低下してしまい次のステップにはストックを低く持ち替え気合を入れ腕力で身体を押し上げないと次の段のステップに移れない。2度後続者の頭でザックを押される。小屋への到着時間は尚30分ほど遅れるペースになる。 額から汗が流れるように滴りステップの木板に落ちる。「小屋だ!」と聞き見上げるがガスと眼鏡のくもりで判然としない。左にジグし右に切り返すとぼんやりと建物が現れる。出入口の手前の窓から小屋番が玄関に回り「このルートで12時間もかかるとは!普通の人は10時間で駈ける!」と到着早々に一喝を見舞われる。追い討ちをかけて「山岳マラソンでは吉野から天川へ5時間だ!」と打ちのめされる。「山岳マラソン?!そんなものに興味は無い!」と反駁する。泊り客は7〜8人で同室は若夫婦と我々3人である。ザックを廊下で整理し急いで夕食をすませ明朝の弁当を受け取る。消灯時間は21時までであるが小屋番の威圧に恐れをなしてか誰一人として暗い雰囲気である。昨夜神崎師から告げられた天気予報は幸いにはずれ雨にあうこともなく歩けたことはありがたい。毛布が厚く寝苦しい。

8月9日(晴のち雷雨)
 弥山小屋【5:21】→八経ケ岳【5:52】〜【6:00】→舟のタワ【8:40〜9:00】→楊子の宿【12:17】→仏生嶽下【12:25】→鳥の水【13:00】→孔雀岳下【13:22】→橡の鼻【13:30〜13:45】→釈迦ケ岳【14:45〜15:00】→深仙の宿(灌頂堂)【15:25〜】〜雨宿り〜避難小屋・ビバーク(泊)・・・歩行距離:12km 登り累計:720m、降り累積:1,070m
 未明、外に出て空を眺めると北西から半天まで「絹雲」がかかり、南東の水平線には積乱雲が糸を引くように上昇している。蒸し暑さは昨日よりもきつい。「観天望気」ではこの雲が現れると山はやがて雨となる。本日のロングコース、前鬼到着まで雨が降らないようにと祈る。ヘッドライトを照らし小屋前のベンチで朝食を済ませ陽光が射しはじめて出発する。一旦下降し急坂を登り返し八経ケ岳(1914.5m)に至り大パノラマをほしいままにする。

        八経ケ岳にて・遠く大普賢岳が・・・

 北には昨日縦走してきた長大な峰の続き、西には金剛・葛城の山々、南には遥か彼方に大きな山容の仏生ケ岳が霞んでいる。

    八経ケ岳から南を望む・右奥が釈迦ケ岳か?

 昨日の出発時に山上ケ岳から弥山を見たときとは違い今日は前鬼・小仲坊の五鬼助住職に会える楽しみがある。"舟のタワ"で昨日、東京から来た単独行者に再び追い抜かれる。彼に「前鬼に着いたら年寄り3人組が後から来ると伝えて下さい」と伝言を託す。明星ケ岳は西側の樹林帯斜面をトラバースしアップダウンをくりかえす。稜線から高度感のある大きなガレの頭を3〜4b下りさらに山腹のトラバース道を進む。森林帯の中では風はなく湿度が上がり時折日光が直射する。"鳥の水"に至り水を求めようと辺りを探るが道の窪みにかすかに小さな水たまりを認めるだけで給水できるものではない。次の水場・深仙の宿の香精水まで致し方なく節水を決める。休憩は極力鞍部の風の通り抜ける日陰を選ぼうとするが適当なところは少ない。少しの水を口に含み喉を潤しながらの前進となる。弥山で補充してきた水の残量は次第に少なくなってくる。日頃耐暑対策をしていない我々にとっては厳しい前進となる。昼食をとり元気が回復し仏生ケ岳西側の肩を通過するとギャップとなり"橡(えん)の鼻"である。

       橡(えん)の鼻にて


    橡(えん)の鼻より七面山

ここにいたるまで展望のない樹林帯の単調さとは異なり遠近の風景は格別で荒々しい岩稜が現れ先には天を突く釈迦ケ岳が立ちはだかる。稜線通しの正面は障壁が立ちはだかり何処を登るのかルートを探る。右側にはルートはない、左側も弱点がないようである。突然、東南の方向から雷鳴が聞こえてくる。天候急変の兆し、先を急がなければ・・・

      北側から仰ぐ"釈迦ケ岳"

 樹林帯を下りミヤコザサより背丈のあるササ原に不明瞭なルートに導かれ左側に回りこみ岩壁基部へと進み腹式呼吸を繰り返し急登する。小さなギャップを一旦下り再び急なルートを木の枝を頼り岩かどをつかみながら登る。ストックが邪魔でうっとうしい。北西の上空には雄大な積乱雲が輝き上部は平坦になりつつあり南西からは黒い雲が低く進んでくる。釈迦ケ岳から前鬼まで約3時間を要す!先を急ごうと思うが身体はついてこない。釈迦ケ岳は始めての矢崎氏に先行を促し頂上を踏んでもらう。「フー」と深呼吸し握手。巨大な釈迦如来像を仰ぎ合掌する。

       釈迦ケ岳山頂・・・雷音聞こえる!

 下山はササに隠れた岩に足を滑らせバランスを崩し尻餅をつく。いよいよ雷は近くでゴロゴロと響く。"深仙の宿"に着き灌頂堂前で様子を伺う。200mほど先の"香精水"を汲みに行き飲み物を沸かしていると至近距離でピカドンと大音響がはじまる。直後に滝のような雨となり地面に叩きつけられた雨脚はしぶきとなって跳ね飛ぶ。「キユーン」と恐怖におののく鹿の鋭い鳴き声が聞こえる。
 お堂の庇の先に差し出したコッフェルにまたたくまに雨水が溜まる。リーダーの判断により今夜はここの避難小屋でビバークと決定する。避難小屋に移ると先客二人(名古屋から)が夕餉の準備中である。板の間の半分をあけてもらいザックから予備の下着をとりだし着替える。コッフェルに天水を受け小屋に入ると同時に閃光が走りド〜ンと小屋が震える。名古屋の人は「そこの木に落ちた!」と指差しながら叫ぶ。「木は燃えているか」と訊ねる。空前絶後の雷雨だ。時間雨量は50mmを遥かに超えているだろう。前鬼・小仲坊の五鬼助住職はさぞかし心配していることだろうと思うが連絡の方法は無い。3時間ほど閃光の中で轟音に耐える。明日9時までに前鬼に降らないと捜索の手続きがとられるだろう。まんじりともせずにただ雨が収まるのを待つ。夜間何度も時計をうかがうが時計の進みが遅い。雨がようやく止み静かになると濡れた足元に冷気を感じ3人とも起きだし熱い紅茶と非常食を腹に収める。身体が温まり横になるとうつらうつらする。

8月9日(快晴)
 深仙の避難小屋屋【5:21】→太古の辻【5:55】→二つ岩【8:40】→小仲坊【8:25〜14:17】⇒駐車場【14:25】⇒前鬼口【14:53〜14:58】⇒杉の湯【15:20〜15:28】⇒大和上市【16:05〜】⇒帰宅【19:00】 歩行距離:3.3km 登り累計:0m、下り累積:740m
 何度も途切れながらの睡眠であるが熟睡したようだ。3時すぎ二人組の目覚ましがなり起こされる。彼らは次の行程に向かうべく準備をしている。空には満天に星がキラキラと輝いている。二人組から残りのラーメンを「どうぞ」と差し出され、これに水を加え三等分にしてありがたく戴く。彼らは"太古の辻"から南部奥駆けに入り"持経の小屋"まで縦走し林道を下り池原に向かうと言う。池原タクシーの電話番号を教える。
 大荒れの昨夜とはうって変わり深仙は静かである。やがて明るくなり遠く東方に鉄槌状の巨大積乱雲がありその中心部には1〜2秒間隔で稲妻が走る。雷鳴は届かない。やがてその左より光線が天を射る。荘厳な光景だ。

         深仙の宿より麗しいご来光

 8時までに前鬼へ下らなければ捜索手続をとられてしまうかもしれない。一頭の鹿が落ち着いたやさしい目で我々を見送ってくれる。三人とも体調は回復し支障はない。濡れた木段を下り左側の広い涸れ沢を少し沢筋に沿い浮石に注意しながら右岸に戻る。このあたりのルートは判りにくい。過去にも道を失い遭難に至った処はこのあたりのようだ。ましてや雨中このルートの下降は通常の倍の時間を要するであろうし夜間ともなれば道迷いの危険すらある。昨日豪雨の中無理にここを下り夜間ともなれば厳しい事態になっていたかも知れない。リーダーの選択は正しかった。"二つ岩"から濡れた木段上でのスリップに注意しながら標識を頼りにどんどん下る。涸れた沢筋がゆるくなると下に小仲坊が見える。犬の吠える声が聞こえ、五鬼助住職が「やーお疲れさ〜ん」と明るい声で出迎えてくれる。恐縮しながら「釈迦ケ岳の登りで雷鳴があり、深仙まで下ると猛烈な雨になったのでビバークしました。ご心配を掛けてすみません」と先ずは陳謝すると、「こちらも凄い雷雨でしたよ。信頼しているので心配はしていませんでした」。「先客が釈迦の下りで雷鳴を聞いたと云うのであなた方は多分深仙で泊まっていると思っていました」。「むしろ無理に下りるほうが厄介ですからね」。「過去に下山を急ぎ、道に迷い込み未だに到着しない客がいますからね」と云って慰めていただく。早速水を浴び、さっぱりし朝食をいただく。お盆に紅漆の食膳が並べられる。神聖な惣菜でビールが喉を潤す。

        前鬼・小仲坊での朝の食膳・プロの調理で超豪華、美味!

 住職は今回のようなケースの場合「10時までに下山しなければ先ず留守宅に電話してご家族の意向を伺ってから捜索手続きをとる」と云われる。迎えのタクシーを予約して戴き、男子直系で61代も脈々と続く五鬼助家の血統、役の行者から依頼を受けた釈迦ケ岳の管理、釈迦ケ岳頂上へ設置した釈迦如来像の経緯、庫裏の補修、桜本坊の佐藤氏からの伝言。未だ謎の多い"小池の宿"へのルートの同定など・・・話題は尽きない。
 「終わりよければすべてよし!」と自らを納得させる。坊の周辺から立ち昇る自然の様々な精気を受け微風が吹きぬける庫裏で午睡や散策にのんびりゆったり時を過ごすしすっかり癒された心地となる。前鬼は別天地だ!

      桃源郷! 前鬼・小仲坊

        愛犬「ジンペン」

 自生のミョウガと柚子をお土産に戴きタクシーを待つ。しかし14時を過ぎても到着しない。バスに乗り遅れる!矢崎氏が確認を依頼するとタクシーは聞き違い、下の駐車場で待機しているのだ。急遽、住職の車で駐車場まで送って戴き前鬼口発14時58分のバスに僅か5分を残し間に合う。今朝深仙で別れた二人組がバスから降りて来る。再会を喜び合う。
 先ずは大峯奥駆けは無事終了することができた。家路へ。
 しかし今回の奥駆けは我々にはいささか過酷だった・・・「大峯南奥駈道」は暫らく時間をおいてからにしよう。
 最後に今回の山行を共にした尾崎先輩、矢崎氏のお二人に深甚の感謝を捧げます。
有難うございました。                              以上

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