From TOKYO

八ヶ岳(横岳→赤岳)及び富士山頂よりスキー滑降

1.ゴールデン・ウィークの八ヶ岳(‘06年4月30日〜5月3日)

4月30日、八ヶ岳山麓、野辺山に車で入り、1台は2日後の下山時のことを考え天女山パーキング場に回送し駐車。

5月1日、杣添尾根1840mに駐車して登山開始。歩き始めるや残雪が現れ、例年より残雪が下の方まで残っている。青氷化している所も多く早々とアイゼン着用。やがて森林限界を越えると風当たりが強くなる。横岳稜線に出て、右手にピッケル、左手にストックで赤岳に向かう。雪稜の上では強風に何度も吹き飛ばされそうになり、信州側の青氷や残雪のついたルンゼを何度も上下して石室手前の岩陰で最後の食事を取って、赤岳頂上を目指した。風に飛ばされないように対風姿勢をとる時間が多く、やっとの事で15:30に赤岳頂上直下の赤岳小屋に入る。宿泊客は我々3人の他に夕食時に到着した2人のみ。

5月2日、早朝4時過ぎから雷鳴が小屋周辺で盛んに響き渡る。キレット小屋経由、権現岳登頂どころでない。雷鳴が治まるのを待って10:00、強風とガスの中、赤岳鉱泉小屋経由下山の途についた。美濃戸口からバスで茅野駅、小淵沢駅から天女山までタクシーを利用し、デポしておいた車を回収した。日本山岳会田邊寿副会長(慶応大、ヒマルチュリ初登頂者)が霜降り肉など食材を担いで我が宿に入り、自ら腕をふるって御馳走を振舞ってくれた。

同行者:JAC 宮崎紘一(農大OB)、小川武(芝浦工大OB)

2.富士山スキーで感激の古希祝い(‘06年5月5日〜6日)

何年も前から木村員士さんより富士山山頂スキー滑降に誘われていたが、我がスキー技術ではあの急傾斜を滑落こそすれ、滑り降りるなど考える事もできなかった。八ヶ岳登山から5月3日夕方帰宅すると、その日の夜半に我が家まで車で迎えに来てくださると有り難い話。しかし、疲れを取るため1日延期願った。

5月5日、午前1時40分に出迎えを受け、首都高、名神高速経由、富士スカイライン新5合目パーキング場に4時半に到着。

日が射し始め、気温も少し上がりだしたので、6時にスキー、スキー靴、食料などを担い登山開始。残雪が多く、一歩目から氷と残雪の世界に入る。ジグザグ登りで時間を費やすも7合目あたりでアイゼン着用。頂上稜線直下30m程のゴルジュ地帯は落石などの浮石が表面を覆い、スキーでの滑降は無理のようなので、スキーなど一式をデポして12時半に頂上着。快晴、そよ風が吹く程度の絶好の登山日和の中、木村さんから富士山頂にて感激の古稀祝いを受ける。

頂上稜線から1分ほど下ったところから、スキーで下山開始。木村さんの言葉通り斜面はスキー場の中級ゲレンデ程度の感じだ。昨日、スキーの流れ止め紐を苦心して作ったが全く不要だった。

最初に数回キックターンをしたが、木村さんのワンポイント・アドバイスのお陰で回転もスムースになり、広大な斜面を独り占めしての豪快な滑降を楽しんだ。勿体ないので景観を楽しみ、ゆっくり滑ろうと互いに立ち止まり、写真を撮り、談笑しながら下ったのに45分でパーキング場(14:30着)に滑り降りていた。想像も出来なかった転倒なしでの富士山滑降を満喫した。

私にとって願ってもない「古稀記念の富士山スキー」となった。

幸い帰路も道路は信じられないガラ空き状況で夕方6時45分には帰宅した。

改めてここに木村員士さんに感謝の意を表します。有難う、バッタさん!

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