会員の海外登山活動記録

南米大陸最高峰「アコンカグア」にチャレンジして

近藤 雅是

リタイアのあと数年間、思いつくまま、気ままに山や旅に出かけており、今回の「アコンカグア」も目的や過去からの一連の繋がりなどなく、単に私にとって今まで行ったことのない初めての南米大陸の山にトライしただけのことです。私は今までの山行きで日々の行動記録を日記などに書き残す習慣をもたないので、記憶をたどり思い出しながら綴ったものです。

公募形式により日本からの同行者は八名。年末年始の休暇を利用した30〜40歳代の社会人現役メンバー六名(高校教師、地方公務員、研究者など)である。この中の二人は前回も「アコンカグア」にチレンジし登頂を果たし得ず二度目の挑戦とのことである。彼らの過去の山歴は、「モンブラン」、「キリマンジェロ」、ヒマラヤの「カラパタールやアランドピーク」などを登っているようである。日本より同行したガイドは、34歳。山歴はナンガパルバット、ワスカランの登頂者でアコンカグアには数回登っているエキスパートである。私は参加者中最年長者でした。

12月20日
東京国際空港よりアトランタ、マイアミ経由。其々の空港でのボディ・チェックのみならず、カーゴ・チェックまで一つ一つ厳密でバッグの底までひっくり返しての厳重さに時間を要した。26時間の長旅を要しサンチャゴに到着した。時差は12時間あったが、途中米国を経由していたので「時差ぼけ」は感じなかった。

12月21日
13:00。サンチャゴ(標高:600m)着。市内のホテルに落着き、各自、明日からの行動に備えて荷物の仕分け整理などに当り、市内観光などの時間的余裕は無い。

12月22日〜25日
本日より6日間の予定で、高度順応の為、サンチャゴ北東約100kmに位置する「エル・プロモ山=5430m」に向った。本来ならばBCまで車で入れるが、今年は雪が多く、交通は遮断され、ラ・パルバまでワゴンに乗り、下車後荷物はロバを利用するが、これも途中までで、個人装備は自らボッカする羽目となる。行程は、全てテント生活で4200mにBCを設営。積雪5cm程度。

12月26日
朝5時、ヘッドランプを点燈し出発。標高差1200m弱。8時間を要し「エル・プロモ」に登頂する。高度より受ける影響は全くない。

12月27日
サンチャゴ帰着。ホテル泊。

12月28日
空路、ワインで有名なアルゼンチン領「メンドーサ(標高:1000m)」へ。直ちにアコンカグア登山基地の登山局へ出向き、登山届を提出。入山料200US$を支払う。真夏の太陽が照り付け暑い(32〜33℃)。街中は、クリスマスの直後であるが、男女ともTシャツ、短パン姿で闊歩している。夏のクリスマスはピンボケを否めない。現地ガイドは食料の買い付けに出かける。21時過ぎ市街のチャイニーズレストランにてバイキング形式の料理を存分に食べる。やはり南半球はラテンの国、夜遅くまで市街は賑わっている。

12月29日 晴れ
今朝未明、降雨があったらしくメンドーサの朝はすがすがしい。メンドーサより乗り心地の良くないトラックに上乗りし出発。チリー人の現地ガイド男女2名も同乗する。トラックが入れるのは、標高2700mにあるスキー場(ペニテンテス)までで、やむなく下車する。未だアコンカグアのBCは、この先約35kmである。先ず、本日は、コンフルエンシア(標高:3300m)まで15kmをトレッキング。テント泊(以降全てテント泊)。

12月30日 晴れ
コンフルエンシアからプラサ・デ・ムーラス(4250m)のベースキャンプへ。約20kmのトレッキング。途中、5〜6回の渡渉による河川横断(アコンカグア登山の一番の難所と言われている)があり、BCには疲労でくたくたになって到着する。BCは、アコンカグア山塊直下、氷河舌端のモレーン状の台地に設営され、50幕以上のテントが設営されている。遠くの台地に山小屋あり。(約1時間行程か?)。トイレはテント区画毎に定められ、冷寒地での環境問題はクリァーされている。シーズン中は、医師、警察官も常駐し、ヘリポートも整備されけが人や高山病等の緊急救助体制も整っている。

12月31日 曇り時々晴れ
BCより高度差約900mの砂利道を登りC1(5100m)へ荷揚げする。行動時間7時間。登行速度が速く。疲れる。登山に要する装備等のボッカは全て有料で個人がその重量によって料金を負担することとなっている。BCまでは馬、BCより上部はポーターが背負い、料金は都度需要と供給の経済バランスによりポーターとの交渉で決める。私の場合は下山時合計400US$を支払う。登山者の会話はスペイン語で話している人が多く。英語は少ないように思う。

'03年 1月1日 曇り
C1からC2(5700m)へ。高度順応を兼ねて登るが…風強く疲れが増す。5500m付近より他のメンバーとBCまでいっきに下降する。

1月2日 晴れ
若い人達もさすがに疲れているようでバテバテの状態。疲労によりパーティの仲間にも「ギスギス」した雰囲気がでる。絶好の休養日となる。

アコンカグア西壁
アコンカグア西壁

1月3日 晴れ
太陽の光線が当るところでは暖かいが、日が翳ると−5℃まで気温が下がり寒さがこたえる。朝の食事は、固パン、ビスケットと紅茶、インスタントコーヒーが定番である。昼はビスケット、チコバーの様なスナック類が主で、夕食は、たまにご飯が出るが、いわゆる外米でパサパサ味気無い料理である。食欲はそそられない。高度の影響もあるが…梅干・のり・ふりかけ等の副食は必携品である。全般的に質・量共貧弱な食事である。コックはチリー人である。日本から餅を持参してきた人がいて、これを野菜なしでお雑煮として食べた。意外と口に合い好評である。BCでも夜間には風が強く吹き、テント地がハタメキ、頭部を内張りの布地で叩かれ睡眠を十分に取れない。

1月4日 晴れ
頂上アッタックへ向けC1へ。朝食はアルファ米だけである。8〜9時前にかけ順次出発する。5100m地点にて強風の中テント設営。到着時間15:00頃。

1月5日 曇り時々晴れ
C1よりC2へ向う。5700m地点。本日も強風の中テント設営。地面は全て岩石ばかりでテントを設営しようにもぺグは全く通らない。岩を集めてテント綱を張る。決まったように夕刻から強風が吹き荒れる。トイレに苦労する。アコンカグアの強風(瞬間風速)は特に有名である。夏でも凍傷に罹ったり、テントが吹き飛ばされたりの話しを聞く。

1月6日 晴れ
午前3時起床。気温はテント内で約−10℃。アルファ米の食事後、5時前にC2出発。烈風・寒気厳しい。ピッチが早く、先頭より少しずつ遅れる。日の出前の黎明が射し、ヘッドランプを消す。このころ6300mの稜線上に達する。稜線では風速が増し、先行者より益々遅れる。「インデペンデンシア」を越え、西側斜面へトラバースする当りから足が進まず大休止。高度差600mにある頂上は真近に見えるが、時間的、体力的にも無理と判断し登頂を断念する。C2へ下降。結局6名は登頂に成功する。

1月7日〜8日 曇り時々晴れ
C2からC1、BCへ。やれやれの感じで、のんびり、ゆっくり遠くの白々と連なるアンデス山脈を見ながら下山する。

1月9日
長い往路の砂埃の山道を戻り、冬場のスキー場のロッジ風ホテルで一泊。体にしみこんだ砂埃(砂塵)を何度も何度も洗い清める。夕食は久しぶりに美味しく戴く。

アコンカグア南壁
アコンカグア南壁

1月10日〜11日
チャーターワゴンで陸路4000m前後のアンデスの国境峠を越え、再びサンチャゴへと戻る。真夏の明るい太陽が照り付けるなか市内観光を楽しむ。行き交う人達はゆっくり、のんびりとした雰囲気でレストランの食事はボリュームたっぷりで、大食いの食習慣があるようだ。また、市内には素晴らしいメトロが市内を縦横に縫っている。物価は安い。

1月12日〜13日
乗り継ぎ、荷物のチェックに時間を取られマイアミのモーテルに宿泊。ビーチへ出かけ遊泳する達者な人もいる。

1月14日〜15日
アトランタ経由成田着。

頂上アタックについて
強風は事前に聞いていたので覚悟していた。ガイドも含め夫々各人のピッチが早く、残念ながら体力的について行けなかった。また、帰国後も体重の回復は遅く、10キロ減少した。

補足
ルートは終始明確。技術的な問題はないが、渡渉、高度順応、強風と体力が課題。私は幸いにも高度順応が上手く行きその影響はなかった。これからも体力を更に充実させ楽しい山行を続けたい。思い出深い山となった。

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