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マオイストとの遭遇 森川 列 まず始めにマオイストとはネパールの反政府武装勢力で1996年2月「農村を拠点に都市部を包囲する」という毛沢東の<人民戦争>の方針にしたがって武装闘争を開始した。土地改革、カースト制、民族による差別廃止、世俗国家の確立など要求を掲げているが最大の要求は「王国と王族の特権廃止」、つまり共和制の確立にある。彼らにとって最大の政敵は国王ということになる。 1996年の闘争開始後、2003年12月中旬までに約8400人が死亡した。2003年1月一旦武装闘争を停止し政府と3回の対話交渉を行ったが8月27日停戦および和平交渉を中止し現在にいたっている。
マオイストの活動の根元に貧困問題が存在している。 私は2003年11月5日から23日までマナスル街道のトレッキングに16人のトレッカーを引率して出かけた。最終地はサマ部落を経て日本山岳会マナスル登山隊のベースキャンプ地を訪れることだった。一行はシェルパ、ポーター、コック、チキンボ―イを含め総勢50名の集団になった。 トレッキングを始めて1日目、Soti kholaのキャンプ地に到着。夕食が出来るまで休憩しているとサーダーがやってきてマオイストが来ているから会って欲しいと言ってきた。サーダーの通訳で話しを聞くと金を出せとのこと。出発前に旅行社から道中マオイストから金銭の要求があるかもしれないと聞いていたので、やはり出て来たかと思った。一人の若者で無線機は持っていたが武装はしていなかった。ピストルぐらいはポケットに入れていたかもしれないが。サーダーによると付近に武装した仲間がおり,何かあれば掛けつけて来るとのこと。要求はトレッキングの許可料、通行料を払えと言うものだ。我々はネパール政府に、一人$180のトレッキング許可料をすでに支払っているのに二重に取られることになる。マオイスト言わく「ネパールには現在二つの政府があるのだ。一人一日100ルピーを支払え、17人で13日間だから22,100ルピーを要求される。我々に危害を加えられることを思えば仕方ないかと応ずることにした。支払うが10日間に負けてくれと交渉するがこれはルールだからとダメだと断られた。「貴方が本当のマオイストか証明できる物を持っているか」と言うと領収書のレターヘッドを見せこれがそうだ。レターヘッドには受取人らしきものが印刷されていた。金を支払うと領収書をくれた。それには発信番号3040、日付2003.11.8(土)主題 観光客のトレッキング許可についてトミ村営会社が、サンスイトレックに2003.11.7から11.20日まで日本人17人をゴルカからサマガウンまで13日間、毎日一人Rs100で合計Rs22,100で税金をもらって、自由トレッキングのために、許可をさしあげます。サンスイトレックに許可してもトレッキングの間は我々の配下にあり監視します。北地方コミティ共有村コミティ代表共産党員バビンのサインがしてあった。もし我々が支払わなかったらどうなるのかと質問をするとここから上には通さない。マオイストのリーダーは「我々は政府に対して闘争しており外国人には危害を加えたり迷惑をかけないと言っているがどうか」と質問するとこれには答えなかった。 ネパール人のスタッフからも援助金と言う目的でRs1500を徴収していた。私が思うには外国人から徴収するのは致し方ないとしても同じネパール人からも徴収するのはどうかと思う。2〜3日トレッキングして上の部落に行くとまたマオイストが現れ金銭を要求されたが領収書を見せたらあっさり通してくれた。 アメリカはマオイストをテロリストと指名しているので道中の民家の壁にはAmerican Imperacism go Home N.C.P(Maoist) と書かれているのを時々見掛ける。そんな訳でアメリカ人は現在ネパールに入国していない。 私達のトレッキング最終日軍隊が山へ登って行った。マオイスト掃討のためか、その結果を私は知らない。 ネパールは観光国であるからマオイスト問題を1日も早く解決しないと観光客が減るばかりだと思う。その日が1日も早く来ることを祈ってやまない。 以上 |