例会山行の記録

11月例会山行 仁川渓谷より甲山(原点を求めて)

リーダー:鮎川OB

実施日: 11月17日(日) 天 気:快晴・無風 気温10℃
参加者: 阿形、鮎川、千田、吉田(現役) (以上4名)

2日前、今元氏より電話が入り、「仁川渓谷は震災後、ルートが荒れ、判りにくくなっているので現役にリードしてもらうように手配した。吉田君が行く」と、何時ものこまやかな配慮の連絡がはいる。

10:00、仁川駅で二回生の吉田君の頼もしい姿に逢う。駅付近と川沿いの住宅は昔と変わらなぬ佇まいである。往時水道管のあった上流には新しい住宅が拓け、アプローチは不明。適当に見当を定め進む。現役時、練習で走った細道は変貌し、思い出そうにも何一つ残るものはない。雑木林に入り川原(水量少なく汚濁)に下ると「ムーンライト」の岩が現れる。「へそ」やザイルを固定した「松の木」は昔のまま変わらず懐かしい。下段のトラバースルートも残っているが取付く自信はない。リードする吉田君は、バランス良く点石を伝い右岸に渡り、水面より1m程上に張り出す岩を身軽にトラバースする。谷間に映える紅葉を写真に納めようとザックからカメラを出すが、先行する阿形OBの様子を眺めると、トラバースして廻りこむ凸角がかなり微妙。自分の順番となり緊張が高まる。僅か3m程の「ヘツリ」は、手がかりのない岩肌に指先の力だけでは身動きがとれない。外傾したスタンスも頼りなく、あれこれ思案しても固い身体ではバランスを維持しまわりこめるとは思えない。目の上の漂白した細い紐を掴み乗り越えようとした瞬間、阿形OBに注意され手を放す。かろうじて体重を右足に移したあと、その紐を確認すると何と途中から「荷造り用の細いビニール紐」が結ばれているではないか。正に切れる寸前の状態である。やっと安定したコンクリートの堰堤に立ち呼吸を整える。

思いの外暗く切り立った行く手に、何処にルートがあるのか皆目見当がつかない。吉田君は、右岸の急なガレを登り松の木の枝にシュリンゲをセットして呉れるものの、スタンスはなく、2〜3分ほど苦闘しているのを見かねて、吉田君はザックを取ってくれる。抜け出た所は、谷に向って30度程の風化した一枚岩の斜面で、これは記憶(昔はこの岩の下部を水平に歩いた)にある。更に棘の生えた薮をトラバースすると、ルートは遮断され2mほどの段差があり、下に不安定なステップ(湿った落ち葉の堆積?)がある。着地衝撃を与えると落ち葉と共に崩れ7〜8m程、まっ逆さまに河床に転落する様相。ザイルを繰り出して貰う。

ルートは屈曲し左岸の15m程の岩壁を目指し阿形OBはスイスイと登っていく。

11月例会山行 仁川渓谷より甲山(原点を求めて)

吉田君は再び先に出てザイルをセットしてくれるものの、スタンスまで足が上がらない、木の根っこを掴み腕の力で身を乗り出す。千田OBに往時の技量を誉めそやされ、慰められるが、汗が噴き出す。いやはや、今日のルートを仁川渓谷に採ったことを後悔する。往時の明瞭で安全なルートは震災により消滅してしまった。

「広川原」に降りると茫々とした枯草の生える荒地と変貌している。かってここは気持ちの良い砂地となり清流が流れ、行楽シーズンには家族連れや恋人達(羨ましく眺めたものだ…)が弁当を広げ楽しげに賑わっていたものだが…今や、ピクニック客の人影はない。

五ケ池を眺めてもボート一隻浮かぶでもなく、さみしく波が寄せている。あの繁盛は一体何処に行ってしまったのか?静寂を越え寂寥感すら漂う。人工的なレジャー施設に人は集まり、悠久の自然からは人が離れる、嘆かわしい日本国の現象を嘆く。

池の奥へと半周し、展望台にて紅葉を愛でながら昼食。吉田君は、"箸"を忘れてくる。ナイフを手渡し「"箸"を作ったことがあるか」と問うと、「ありません」と答える。頼りないナイフ使いに見かねて、予備の割り箸を差し出す。12:20〜13:30。

いよいよ甲山への最後の登り、ここで吉田君にエベレスト・トレッキング中の歩行スピードを模擬するよう頼む。「ビスターリ」の技法を伝授されるものと期待するが、その歩行は「早い!」。

120mほどの標高差に、彼を追うのに必死である。「このペースでは高山病にやられるぞ〜」と彼に言う。が「高田先輩は、このペースで平気だったですよ」と答える。

左より吉田CL、阿形OB、千田OB
左より吉田CL、阿形OB、千田OB

甲山頂上はすっかり樹木が成長し周囲は被われ、展望は全く得られない。14:20〜:40。ぶらぶらと神呪寺への石段を下りながら大阪のビルや西宮港の海岸を遠望する。

神呪寺と甲山
神呪寺と甲山

「関学道」を散策し、卒業以来はじめての懐かしの部室(我々の時代の部室ではない)に入る。内部は雑然として汚い。この汚さがなければ現役当時の思い出は甦らないであろうが…しかしふと気がついたことは…「我々の頃の部室は、人いきれと汗のすえた臭いが充満していたものだった」が、今は部員の少なさと初冬の乾燥の影響もあろうが微塵もその名残はない。

11月例会山行 仁川渓谷より甲山(原点を求めて)

親子以上の年齢の隔たりがあるにもかかわらず、吉田君との会話に、青春は甦り、暫し懐かしさにひたる。阿形、千田両OBとも往時の記録や「関西岳連の冊子」を懐かしそうに手にする。

「上ケ原牧場」の芝生を歩き、現役時代のウサギ飛びの練習や覇業交換を思い出す。

11月例会山行 仁川渓谷より甲山(原点を求めて)

正門より時計台を望む正門から図書館を望む
正門より時計台を望む正門から図書館を望む

吉田君に「部員増強は勧誘活動にあり」と力説する。15:40〜16:25。

甲東園駅前16:47。「中華料理店」にて、休日にもかかわらずわざわざリードしてくれた吉田君に対し感謝と同時に「我々の仁川渓谷」を登り原点を見つめジョッキを重ねる。

阿形、千田両OB
阿形、千田両OB

吉田君 今日はありがとう!
吉田君 今日はありがとう!

若い人と酒を飲むと、しみじみと年月を重ねてきた実感が湧いてくる。今日の仁川渓谷遡行?は吉田君のアシストがなければ難しかったであろう。

以上

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