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12月例会山行 摩耶山(故三戸田氏追悼登山) リーダー:鮎川OB 実施日:12月8日(日) 強風・雨(小雪まじり) 気温5℃ 12月例会山行は、三戸田OBにリーダーを依頼した。10月初め、彼より「阪急六甲駅集合→摩耶山及び下山後の忘年会」の手配が完了した旨FAXを受けた。しかしながら運命に導かれ、彼は「穂高稜線」に逝った。 従って今回の例会山行は彼の追悼登山へと悲しい仕儀となった。彼の遺徳を偲び、彼の年代と同じくする仲間達(合宿や個人山行を共にした)はおのずと集まった。震災で大きな打撃を受けた六甲駅コンコースは再開発されお洒落な店が配され、若者達は活発に行き交いにぎあう中、集合20分前に森川山岳会理事をはじめ参加者(※後述)は到着済みである。出発10:02。 森川理事(「兵庫県山岳連盟副会長」と「神戸市登山研修所々長」に就かれ、震災後、いち早く六甲山系の登山道を踏査。各ルートを実地調査された上で、その安全性と注意点を広報されたり、ネパール王国カトマンズ市の「ヒマラヤ・トレッキング会社」の日本国アドバイザーをされたり、月刊誌『山と渓谷・12月号』には六甲山の歴史と須磨より宝塚まで56kmの全山縦走の記事を紹介され、兵庫にとどまらず幅広く活動)に本日のリードをして戴く。 傾斜がある住宅地の坂道が山の端で途切れ右へ進み雑木林の登山道へと入る。八名のパーティは故人への想いを各自胸中に抱き、個々のペースを維持しながら黙々と歩く。登山口10:29。小沢に沿い、やがて急斜面をグイグイ稼ぐ。見通しが利くカーブより上部を伺うと何時の間にか林OBがトップを執り、大きな歩幅で高度を稼ぐ。二番手森川OBはリズミカルに距離を詰めて続く。宮崎、前田、尾崎、今元、鮎川各OBと殿は千田OBの順である。間断なく霧雨が降るものの神戸市街を振り向くと眺望は鮮明である。そして遥か遠く明石大橋、淡路島へと…急坂の登行に身体は温まり、背中に汗しながら、終始早いピッチを強制される。見通しの良い傾斜地で休息。約55分の急坂登行で約500m高度を稼いでいる。例え本日は軽い荷であるにせよ、この登行ペースを維持できる心肺能力ならばヒマラヤも夢ではない?ぞと密かに気合を入れる。 故人が例会山行のリーダーの時、その早いペースでの登行に、参加者は、スピードに付いて行けず辟易としたものだった。この計画について打合せをした時、彼は「私のペースは、早いですか?評判悪いですか?」と恐縮気味に訴えてきたことを思い出す。林OBは故人のペースを思い出しながら登っているのだと容認する。片や、幹事役としては、このペースで登られると下山が予想外に早くなり忘年会開催まで時間を持て余すと覚悟することと、相応の歳を加えた我々の心臓は、この寒気に「異変」を招くのでは?の心配も脳裏にちらつく。 視界のひらけた草地を辿り、稜線に出ると、正面より強風が吹きつけ、水平方向より白いものが混じり眼球に飛び込んでくる。長峰山(688m)11:25。絶景を期待していたが吹きつける風には抗し難い。所要時間は六甲駅より2時間と目論んでいたが30分以上も早いペースである。天狗岩で夫々防寒服や手袋を着装する。長居は無用!早々にギャップへと下降する。眼前に傾斜約40度の壁が待ち構えている。前田OBは上を眺め思わずの「ウヘェ〜」と頓狂な声を洩らす。杣谷峠(立派なトイレあり)着。雨中震えながらの昼食11:50〜12:30。 暫らくドライブウエーを辿り、アゴニー坂より摩耶山のケーブルを横目に見ながら、今日の目的である「小刀利天上寺=お釈迦様のお母さん(摩耶夫人)を奉るお寺」着12:55〜13:10。参加者全員本殿を仰ぎ、故三戸田OBのご冥福とご遺族の安寧をお祈りする。境内を辞し、階段を下ったところに起立する「巨木」を見つける。O先輩が予てより賛辞してやまなぬ世界文化遺産=屋久島の縄文杉に勝るとも劣らぬ?かの樹木か?と話題は盛り上がる。 下山路へと向うものの、再びこのペースで下山すると大幅に時間を持て余すこと必至と思案する。そこで森川OBより「王子公園内の兵庫県山岳連盟に立ち寄り、チョット一杯やり、温泉に浸かろう!」とのご神託がくだる。冷え切った身体に温泉と酒は願ってもない提案である。疲労は霧散し下降を急ぐ。 青谷ルートは六甲山系で、いな日本中で最も整備された登山道であると折り紙を付けたい。驚いたことに山道にも拘わらず、落ち葉を丁寧に祓い清め箒の筋目が付けられているではないか。さすが、六甲が近代登山発祥の地である。下山口着14:30。 王子競技場のグランドを横切って「兵庫県山岳連盟」の建物に入り早速ビールで乾杯。ロビーの書架ケースには読みたい山岳資料(藤木九三氏の寄贈と聞く)が満載され、壁に掲げられた写真額の一つ(岳連30周年記念時の写真)には陸田大先輩のにこやかなお顔を拝見する。尾崎OBは、本棚より関西学生岳連の過去の資料を取りだし、早々に没我状態。今元OBは盛んに温泉入浴をせかす。宮崎OBは、昼食時に飲もうと自宅からボッカした「スーパードライ」を余りの寒さに呑むチャンスを失し、やっとこの場で呑み干し懸案を解決したように満足げ。 森川理事に案内され、「まや温泉」へと向う。ゆったりと熱い湯舟に深々と浸かり瞑目する。硬直した足の筋肉は次第に氷解し、全身が溶きほぐれて行く感覚を実感する。正に天国である。あとに控えるは空いた腹を満たすことと、幾ばくかの「アルコール」を補充することだ!! 忘年会開催 「ちゃんこ一番」着16:58。本日山行参加者に加え、大西副部長、青木夫妻、小西、若手の神戸各OB(※今日の山行参加を失念していたとは!教職者にあるまじき怠慢と緊張感の欠如であると批難・攻撃の集中弾を浴びる)。更に古川新部長(社会学部教授・京都大学学士山岳会員)も加わる。 故人を偲びながらも話題は次第に交錯し、更に屈託ない話題は鍋の湯気へと昇華し座は益々熱気を増す。酒杯は涸れることなく次から次へと追加注文され間断なくアルコールは胃袋に流れ落ちる。その間夫々の年代のエピソードと、来秋の「エヴェレスト街道・トレッキング」を中心にエスカレートし、時間を忘れる。ラストオーダー後も更に酒が追加注文され店長を慌てさせる。 皆が飲むに食べるに談笑するに付け、故三戸田氏の人柄に想いをはせ宴は尽きない。やがて三々五々連れ立って別れる。最後の別れ際に「先輩!エヴェレストに登りましょうよ!!」と小西OBの威勢の良い声が背後から押し込んでくる。「?えぇ?登る!俺には出来ないよ!トレッキングキングで充分だよ」とうろたえて答える。 来秋のカラパタール5545mの丘(これも容易なことではない)に登り、世界最高峰8848mのエヴェレストの頂上と30年ほど前、故人が取り付いたエヴェレスト南壁を拝むことが出来れば、それで充分満足できるのである。 謎?は残った:故人の愛すべき人柄? 12月例会山行と忘年会開催を三戸田君に依頼した。早々に彼からの返事をFAXで受け取った。その筆跡は例のフエルトペンを使用した太字で書かれ全く彼に似つかわしくなく容易に解読出来た。しかし、「忘年会の会場」を何処に予約したのか、文面には肝心の店名が欠落していたのである。小西OBに調べて貰ったところ、恐らく昨年と同じように「ちゃんこ一番」であろうと落着を見た。 早速、その店に電話で確認した。ところが「そのような予約は受けていません」と返事が返って来た…よもや三宮店や西宮店ではあるまいかと電話で当ってみたが、両店とも予約されていなかった。ひょっとすると彼は趣向を変え「ちゃんこ一番」以外の店にブッキングしたのではなかろうかと…謎?は残った。 「おーい みっとんよ〜 何処や〜」と声を掛けてみた。今や決して返事は返ってこないのである。思案しても詮ないこととなってしまった。永遠に聞き質す方策は無いことだと自分に言い聞かせた。 私は、彼の…その愛すべき人柄に免じ…以降悩まないことを心に決めた。 以上 |