例会山行の記録

10月例会山行 比良山系 権現岳〜蓬莱山

リーダー:鮎川

実施日:10月5日(日) 天気:晴れ
参加者:阿形、尾崎、鮎川、青木 4名

秋の行楽シーズン。JR堅田駅より下車する乗客のほとんど登山客。その中に阿形、尾崎、青木各OBの姿を認め、満員の朽木行き臨時バスに乗り込む。途中峠(固有名詞)を経て花折トンネルを抜け"平"で下車。ストレッチを行い出発9:05。旧鯖街道より放置された杉林の坂道を登る。リーダーのペースが遅いと阿形OBがさかんに前に出かかる。尾崎OBは来たるべきエベレスト街道トレッキングを意識し腹式呼吸を続けながらの丹念な登行を実行。ワンピッチも歩かぬうち早くも阿形OBより「腹が減った!」とのお達しにより"アラキ峠"で一服。"平"のバス停横で出店しているオバちゃんから阿形OBが購入した"おはぎ"をパク付く。高価さに見合う中々の味。青木OBは差し出される"おはぎ"を「ダイエット中」と腹を突き出し固辞。昔から変わらぬユーモアと包容力(スタイルが?)。権現山へはピッチをあげ30分で到着。ハイキング客が大勢たむろし喧騒。そこを避けて下の"祠"まで進み気持ち良い雑木林(冬期の風雪に耐え矮小化)より琵琶湖の秀徹な広がりを持つ景観に爽快な気分で早めの昼食を摂る。琵琶湖を隔て湖東の穀倉帯より長閑な煙が無数に立ち昇る。

ホッケ山での展望は一段と素晴らしく南西の愛宕山〜天王山。遠く霞む六甲山系、更に大阪湾までが展望出来る。伊吹山の北側に目を移すが加賀の白山は認められない。数年前('99年11月例会山行)同じ比良山系北端の"蛇谷ケ峰"に登った折、加賀の白山を観たことを阿形、尾崎OBは思い出す。

"小女郎池"のほとりに立つ伝説のいわれを説明する看板を読むと以前読んだ『古里の民話』と違う説明となっている。志賀町は多くの民話が語り継がれ民話の宝庫。最初に小女郎池のいわれを知ったのは、古代国家形成の頃、渡来人の技術がもたらされ、鉄のタタラ製法に携わる職人が溶鉱炉の火を見過ぎて片目をつぶし、その男に惚れ込んだ既婚の女性がこの池まで追って来て入水したと言うかなり現実的な伝説であったように記憶しているが。確かに"比良八荒"の風を利用して初期の製鉄がこの地で行われていたのであろう。その名残も付近(金糞峠等)に多い。

10月例会山行 比良山系 権現岳〜蓬莱山

青木OBより要所要所で登山道の側面に咲くリンドウや、やや日陰になった暗い湿地に咲くトリカブトの花、春先に咲くイワカガミの葉をみてレクチャーを加えてくれる。例会山行で路傍の高山植物を話題に取り上げられたことはかってない。関学山岳会会員らしからぬ博学の徒であると感心。

蓬莱山の高まりを軽快に登り、スキー場の芝生で大休止。日本海より琵琶湖に向って吹く風が美味。遠くゴンドラの運行を見るが客は少ない。ここにも不景気の波がとわびしい?

下山口の標高は約1190m。琵琶湖面の標高は86m。標高差1100mの降り坂。各OB、降りは相変わらず強い。2時間ほどかかり急坂を降り「金毘羅神社」へ。粗い舗装の林道は足裏に響き応える。ようやく集落まで降り、各住宅の玄関前の小庭には数種類の秋の花々が鮮やかな色彩を競うを見る。JR蓬莱駅手前にて「蕎麦屋」を見つける16:45。阿形OBは即座に躊躇無く店の暖簾をくぐる。他も異論はなく続く。蕎麦を注文(少し堅めの細麺で出汁は適度の辛口、こしがありつるつると喉越しはすこぶる爽やかで美味)。当初、新大阪駅地下街での沈殿を予定。その呼び水としてチョット一杯のつもりでビールを注文する。時を経ず一転、尾崎OBの「ヨシ!!」の気合と共に漬物(キュウリとナス)を肴に(料理人のサービスとしてイチジクの天ぷらが共される。とろけるような微妙な味は絶品)酒を注文。店に入った時は次の列車を確認し程々での引上げを暗黙のうちに了解していたと思ったが、阿吽の呼吸か?アルコールの魔力か?急転直下腰はすっかり椅子に粘着。オダを上げ、結局2時間弱をへて強固な意志と決断を要し居酒屋をあとに不安定な足取りでJR蓬莱駅の階段を登る。18:03発。三氏は心地よい酔いに浸りながらの帰宅であろうと想像しながら山科駅で別路をたどる。翌朝、久々の二日酔い。

今回の山行は、エベレスト街道トレッキングに向け国内最終のトレーニングであるのにと反省!?しきり…。しかし、トレッキング中の22日間は禁酒の日々。これが飲み納めと前向きな思考へ。

以上

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