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‘04年10月比良山系・坊村〜武奈ケ岳〜ダケ道〜比良 ■ 参加者:L:鮎川、千田、中井(祥) 以上3名 堅田駅より超満員(老年登山客=約60人・ギュウギュウ積め、立ちっぱなし、バス運賃はまたまた値上げして1,000.−!)の臨時バスに揉まれ約40分後に坊村着。明王院前より御殿山への尾根コースを選ぶ。本日は絶好の行楽日和。20人ほどの登山者と前後して急坂を登る。空は澄み、そよぐ風は清々しい。等高線850m付近のトラバース道に木漏れ陽が乱舞し久し振りの爽快感を味わいつつ雑木林を縫う。標高1097mの御殿山で昼食。千田氏よりバナナ(いつよりも短小?)の差し入れ。中井氏の“弁当”は絶品! 一人休む先行者から「関学の山岳部の方ですか」と問われ、「私は立命館大学の探検部(彼曰く:国内有数の実力があり、よそから遭難レスキューの要請を受ける程・・・)でした。大学の職員をしている」、「今朝、2時まで仕事をしていましたが、家内から天気が良いよ、と“追い出されるように”言われ登りに来ました」と屈託なく笑う。前方のワサビ峠から頂上に続く素晴らしい稜線に先行したグループが登っていく。 足元にリンドウを見かけ、西方の絶景を愛でながら高度を稼ぐ。頂上よりの展望は水平線に僅かに霞が漂い、俯瞰すれば秀徹な琵琶湖の広がり、北東には遥かに純白の山並みを認め加賀の白山と知る。その右には一段と高い御嶽山が認められる。 長居をしすぎた。湖西線比良駅までの道のりは遠い。夏場(7月中旬から9月末まで夏眠状態?で過ごす)のトレーニングをかまけ、太目となった体は大きな段差と標高差1100mのくだりは膝にこたえる。イン谷口で夕闇が迫り、堂満岳の雄峰が夕照にシルエットとなり浮かぶ。ヘッドランプを装備してきたのは用意周到な中井氏のみ。他の二人は無灯火に朽木村に出没した熊が頭の片隅をよぎる。南に弦月を仰ぎ真っ暗なたんぼ道に遠くかすかな駅舎の明かりを頼りに歩く。駅に到着と同時に、突然中井氏夫人よりご主人の下山の遅さを心配され携帯に電話が入る(何時ぞやの例会山行記に・・・“銀行にも見放され、女房には疎んじられ、行くところは昔の仲間しかいないなあ”・・・“帰巣本能”云々と書いたのは本心か?・・・決して見放されてはいない!) 駅前の“おでんや”には3人の先客が“下山後のチョッと一杯”を楽しんでいる。しかし、我々は冷たくも「あと10分で店じまい!」と云われ、必死に看板娘?を口説き時間延長を頼みこむ。冷たくなった“おでん”にビールで乾杯!のど越しに清涼感が通過し温かさを感じる。先客の紳士連は、電車内で飲むためのビールを買い足しご機嫌よくプラットホームへ。 我々は更に口説き、次に来る電車まで粘り打上会をまっとうする。同様にビールとワンカップをぶら下げ足取り軽く駅の階段を登り座席を占めた。 距離的?にハードで、辛く寂しい闇夜の歩行に、中井氏は「久々に会心の山であった」と嬉しい感想を述べ、「2年後にヒマラヤの何処かのピークを登ろう」と誘われた。彼はいまだに純粋な山岳部根性の持ち主であると考えた。 今年3月末、比良索道会社が運営するリフトとロープウェーは経営が行き詰まり廃止となった。それに伴い山麓駅〜比良駅往復の江若バスも運行を止めた。比良山北部は登山客が激減し、野猿の家族がたわむれ、鹿が飛び跳ねるのみが静寂を破る山域となった。我々にとってこたえられない恰好のフィールドが戻ってきたようだ。 (記:鮎川) |